24年1月の出来事など

24.1.31 石井英機

 元日震度7の大地震が能登半島を襲いその後も余震が続いており230名以上の犠牲者が出るなど甚大な災害が発生しました。1.5万人近くの方々がまだ環境の厳しい1次、1.5次避難所で暮らしており早く暖かい、食料、水がある2次避難所に移動してもらいたいと思いますができない事情があるようです。海底が4m近く隆起し港が使用不能になった、土地の陥没でビルがそのまま倒れてしまった、道路がズタズタに破壊されてしまったなどが報道され今までの経験をはるかに越えていました。復旧には多大な時間、労力、金が予想されますが国、地方行政はグランドプランを被災者の方々に示して少しでも不安を解消し希望をもってもらうようにすべきと思います。
 国は東南海地震にあたってこれまでの被害想定を見直しして国民に示し、私達は耐震補強と避難訓練などに取り組んでゆきましょう。
 同日羽田空港でJAL機と海自機が衝突する大事故が発生し、海自機の5名が死亡しました。誰かが指摘していましたがC滑走路だけが離着陸を共用としているとのこと、他滑走路並みに離陸、着陸だけにすることを他に不都合があっても優先すべきと思います。
 農園が発足し18年目を迎えましたが高齢化してきており会員は11人になってしまいました。渇水が続き用水に水が流れないので水遣りが困難、せっかく作っても猿に襲われてしまうなどで継続するにはきつくなってきました。しかしコミュニテイーカッフエなどで高齢者の方々が待っていてくれておりもう少し頑張ってゆきたいと思います。